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父への感謝

父親が永眠しました。80歳でした。

通夜の日は1時間、葬儀の日は30分ほど診療時間を急遽短縮させていただきました。予約の方にはできるだけ電話連絡させていただきましたが、連絡がつかなかったり、予約外で直接来られたのに、すでに閉院していてご迷惑をおかけした方もおられるかもしれません。大変申し訳ありませんでした。

昨年偶然がんが見つかり、手術もしていただき、闘病生活を続けていましたが、徐々に入退院を繰り返すようになり、最後は自宅からはちょっと遠い安佐市民病院に入院していました。安佐市民病院は私も研修医の頃に勤務していたことがある病院です。当時はまさか自分の父親が将来入院して最期を迎えることになるとは思っていませんでしたが、これも不思議な縁かなと思います。安佐市民病院での主治医の先生やスタッフの皆様には本当に良くしていただきました。

臨終の瞬間は仕事で付き添ってあげることはできませんでしたが、前日には顔を見に行き、最後のお別れをしたつもりでした。父もしんどい状態から解放されたと思うので、正直今はホッとした思いの方が強いです。本当はもう一度自宅に連れて帰ってあげて、おいしいものでも一緒に食べたかったですが、こればっかりは仕方がありません。

私が医者になれたのはもちろん両親のおかげです。特に父親は、小学生の頃いつも横について一緒に勉強してくれていました。閉店後のお店の片隅で一緒にトランプをして(父は本通りで商売をしていました)、それから勉強を見てもらうというのが日課でした。おそらく小学校2年生頃から中学に上がるまで、1年365日のうち360日くらいはそうしていた(させられていた)と思います。あの日々がなければ、医者になれていたかどうか分かりません。

働き始めてからは一緒に暮らしていたわけではないので、時々孫の顔を見せに行く程度でした。闘病中も実際に動くのはほとんど母と姉に任せていましたが、父親が病気になってから改めて家族の絆が強まったように感じます。私は長男なので一応喪主を務めましたが、通夜も葬儀も開式の1時間前まで仕事をしていたので、まさに「名ばかり喪主」でした。これも母と姉に感謝しなければいけません。あまり親孝行らしいことはできませんでしたが、(たぶん)自慢の孫を作ってあげられたことは、唯一の親孝行かなと思います。これに関しては妻に感謝ですね。

コロナ禍でもありますので、通夜や葬儀はごく近しい親族のみで執り行いましたが、涙あり笑いもあり、我ながらいい式になったと思います。すべて父に感謝です。

まだ父がいなくなったという実感があまりないのが正直なところですが、今後も父への感謝の気持ちを忘れず、生きていきたいと思います。
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